貢献する責任
念願かなって、香港での就職を果たした。ネイティブの日本語力や、たいしたことのないセールスポイントも大げさに前面に打ち出して、やっと採用していただいたチャンス。でも、そこがゴールじゃない。
香港の社会人は皆、自己研鑽に熱心だ。仕事が終わると社会人用の大学や大学院のコースに通っているし、海外の大学・大学院をインターネットを通じて受講している人もいる。いつクビになるかわからない、いつ会社が倒産するか分からない、いつ香港の安定が崩れるか分からない、という不安がある一方で、でも着実に実力をつけていけば、いつかもっといい仕事に転職できる、いつか起業できる、いつか海外で活躍できる、いつか成功できる・・・という夢もある社会。そんな、マイナスをプラスの原動力に変えてしまう、生命力ある人々の間で私も生きていかなきゃいけないわけだから、ぼやぼやしてはいられない。与えられた仕事に全力投球はもちろんのこと、マネージメントスキルやリーダーシップ能力を身につけられるプログラムを提供している組織に入会し、平日の夜や休日などプライベートな時間のほとんどを投入する、ハードな自己研鑽の日々を送った。
香港の社会人は皆、自己研鑽に熱心だ。仕事が終わると社会人用の大学や大学院のコースに通っているし、海外の大学・大学院をインターネットを通じて受講している人もいる。いつクビになるかわからない、いつ会社が倒産するか分からない、いつ香港の安定が崩れるか分からない、という不安がある一方で、でも着実に実力をつけていけば、いつかもっといい仕事に転職できる、いつか起業できる、いつか海外で活躍できる、いつか成功できる・・・という夢もある社会。そんな、マイナスをプラスの原動力に変えてしまう、生命力ある人々の間で私も生きていかなきゃいけないわけだから、ぼやぼやしてはいられない。与えられた仕事に全力投球はもちろんのこと、マネージメントスキルやリーダーシップ能力を身につけられるプログラムを提供している組織に入会し、平日の夜や休日などプライベートな時間のほとんどを投入する、ハードな自己研鑽の日々を送った。
いつも周りの香港人達に、本当に懇切丁寧に指導してもらい、沢山の機会も与えてもらった一方で、もちろん、ひそかに悔しい思いも沢山味わった。出席者全員に議決権が与えられ、民主的な会議ルールに則って議事が進行されるというフォーマルなプロジェクト会議に出席したときのこと。その会議での公用語はもともと英語という規則だったので、広東語を話せない私も支障なく対等な立場で参加できるはずだったし、私はこのプロジェクトの一員になれたことにわくわくしていた。ところが、いざ会議の時間になると私以外は全員香港人だったので、会議を英語で進めるか、広東語にするか、皆が私の目の前で広東語で相談し始めた。しばらくすると、そのうちの一人が代表して、「話し合いは広東語で行いたいんだ。もちろん、結論は英語で君にも伝えるけど・・・」という。そのときの私は見学者として来ているのではなく、一構成員として正当に出席しているわけだから、本来これはおかしな提案だ。
自分でも血の気がひくのが分かるほどカチンときた私、咄嗟に切り返した。「皆さんに質問があります。今日の会議、私にも議決権は平等にありますか?」
ひるまず会場に問いかける私の発言に皆、はっとした顔をし、そこからは英語に切り替わった。結局、私は会議中にも積極的に発言し、また、会議での決定事項のフォローも人一倍徹底的にやりとげた。意地だった。・・・私のことを代表として送り込んでくれた人たちからの信頼を裏切るわけにはいかないから。
咄嗟の行動ではあったけれど、今振り返っても、あの強気の発言は結果的に正解だったと思っている。それは、周囲に対して私の責任感や覚悟を表明することでもあったけれど、なにより自分自身に対して、恥ずかしくないようにきちんと結果をともなう行動をとらなければ、という動機付けにもなったからだ。
あれから何年も経った今、後輩の指導にあたる立場にある。私が会議の場に顔を出すと「えっと、今日は広東語?英語??」と戸惑う彼らに、私はにっこり「英語よ」と広東語で釘を刺す。「えー、緊張するなぁ~」という声もあがるなか、私は毎回約束する。「この会議は香港人同士であっても英語で討議するというのが元からの決まりだし、がんばればあなた達の英語力のブラッシュアップにもなるわよ、私にとっても、そうだったんだから。それにね、あなた達が何を考え、どんなことを目指しているのか、どんな問題に直面しているのか全部ちゃんと知りたいから、私が理解できるように英語で話して。その代わり、私は自分の経験からみんなに的確なアドバイスするし、きちんとサポートもするからね。」
自分にそれほどの実績が伴っていないうちは、周りから軽んじられて当然だ。それが悔しければ、結果をきちんと出していくしかない。地道な努力。でも、そういう日々の積み重ねをフェアに評価してくれるのも、その努力に応えて更なる成長のチャンスを与えてくれるのも、そして「よそ者」をも仲間として信頼し任せてくれるのも、また香港社会の心地良さだ。
評価の形はさまざま。転職を繰り返せば、自分の市場価値が金銭的なものさしで分かるのはもちろん、社内での昇進・昇給、他社からの引き抜きのお誘いなどは分かりやすい例。また、金銭的には現れてこないけれど、後輩や部下の指導や教育を任されたり、助言を求められる、ということもある。何より私にがんばってついてきてくれる彼らのひたむきな姿勢が、無形・無報酬であっても私にとっては一番嬉しい。
よその国に「移民」という形で定住するということは、その国の人たちの雇用の機会を一人分奪ってしまうこと。だからこそ、香港人と競い合い、蹴落としあうというのでは決して無く、その社会に地元の人以上の貢献をする責任があると思う。チャンスを与えてもらっていることへの、それが最大の感謝の形だから。